先日、台風のニュースが世間を騒がせている最中、私はキッチンでちょっとした事件を起こしてしまいました。そう、スライサーで親指を切ってしまったのです。
おかげで2週間ほど、利き手が自由に動かせない生活を余儀なくされました。40代も半ばに差し掛かったおっさんにとっては、なかなかの試練でしたね。でも、この不自由な期間を通して、私は**「不自由の中にこそ、自由がある」**ということを身をもって体験することになったのです。
不自由が教えてくれたこと
利き手が使えないということは、普段当たり前のようにできていたことが、急にできなくなるということ。最初は不便で仕方ありませんでした。でも、時間が経つにつれて、今までいかに自分が「できること」にばかり目を向けていたかに気づかされました。
- 不自由になったことで、周りの人の優しさに改めて気づきました。
- 時間をかけて丁寧に食事をするようになりました。
- 普段は後回しにしていた読書を楽しむ余裕ができました。
不自由は、私にとって新しい発見と感謝の連続だったのです。
習慣化の罠
しかし、この不自由な生活にも慣れてくると、今度は**「不自由であること」が当たり前になってきました。そして、ふと気づいたのです。「あれ?これって、自由じゃないんじゃないか?」**と。
私たちは、不自由な状況に置かれると、最初はそこから抜け出そうとします。でも、それが習慣化してしまうと、不自由であることを受け入れてしまい、本来の自由を忘れてしまうことがあるのです。
大切な気付き
今回の経験を通して、私は**「自由」**とは何かを深く考えるようになりました。
- 自由とは、何でもできることではない。
- 自由とは、自分の状況をありのままに受け止め、その中で何を選択するかということ。
- 不自由の中にこそ、本当の自由があることもある。
- 不自由が習慣化すると、自由を失ってしまうこともある。
人生は、思い通りにならないことばかりです。でも、どんな状況でも、自分次第で自由を見つけることができる。不自由を嘆くのではなく、その中で何ができるかを考える。それが、本当の自由への第一歩なのかもしれません。
今回の私の体験が、あなたの心に何か響くものがあれば幸いです。人生は一度きり。どんな時も、自分らしく、自由に生きていきましょう!